元失業者の現在労働者 健康で文化的な最低限度の生活をめざす劣等社会人のブログ 世の中厳しいですが、がんばりましょう 大衆演劇と競輪初心者です
昨日記事にした、お菓子「土佐浪人クラブ」を開けてみた。

コピー ~ SN3D0021
値段が500円ほどなので、さほど期待はしてなかったが、1枚1枚きれいにパックされたクッキーだった。
パックの絵柄は、SD龍馬のイラストだ。

「よし、一個食べてみよう!」
パックをめくる。

コピー ~ SN3D0022
いきなりの一枚がこれだった。
映画「ファイト倶楽部」っぽい感じだ。
そして、私は若いときの記憶が蘇ってきた。

土佐浪人

私は、18歳のとき、初めて高知県に行き、桂浜の砂を踏んだ。
雄大な太平洋に面する桂浜は、瀬戸内海育ちの私にとって、刺激的で、自然と
「♪土佐高知の はりまや橋で ぼんさんかんざし 買うをみた」
という、よさこい節が頭をよぎった。
土佐の郷士が、桂浜でうたった歌だ。

お土産に買って帰った、高知の郷土史家の100ページほどのお土産本を、家に帰って読んだ。
土佐郷士、維新の志士。
それまでの私は、学校の授業で習っただけの知識だったが、明治維新を成すためにどれだけの血が流れたか、この本でリアルに感じることができた。

その後は、お決まりのコースで、司馬遼太郎の「龍馬がいく」の長編をいっぺんに読破した。
明治維新は、私の好きな時代となり、維新の志士は私のあこがれとなった。

今回なにげなく、手に取ったお土産、「土佐浪人くらぶ」だったが、その当時の記憶が蘇ったので、土佐の志士を記事にする。
短期連載の、ミニシリーズをここに開始します。



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武市半平太

コピー ~ SN3D0028
土佐の維新の志士たちのリーダーである。
土佐勤皇党を組織し、その中には海援隊の坂本龍馬や、陸援隊中岡慎太郎らも属していた。

武市という人間には、とかく冷たさというか、暗い影がつきまとう。

それは、岡田以蔵をつかって、暗殺指令をだした人物だったからだと思う。

人をつかって暗殺を企てる人間には、どうしても冷たいイメージがつきまとう。

しかし、司馬遼太郎の「龍馬が行く」や、小山ゆうの「おーい龍馬」などを読むと、可愛らしい部分も読み取れるのだ。
たとえば、江戸留学時の三大道場剣術大会で、大会には出場せず、裏方にまわったという小心な部分などに、私は武市の可愛らしさを感じられるのだ。。

彼は年を重ね、天誅という名の暗殺指令を出すようになってから、残忍さがでてきたのだろうか。

実際の武市は、思慮深く、土佐の郷士から祭り上げられ、江戸の桃井道場でも塾頭に推されるくらい、人望の厚い人物だったようである。

土佐藩は、元々長曽我部元親という強い戦国大名が支配していたが、豊臣秀吉に滅ぼされ、そして徳川家康が関が原に勝利した後に、山内一豊が大名として一国の主となった。
もちろん政治の中枢を担うのは、他所からきた山内の家臣団である。

一方、長曽我部の家来はどうなったかといえば、郷士という身分でかろうじて武士の身分に留まった。
その在来の武士である土佐郷士に対して、山内の家来は上士という。

郷士と上士。

司馬遼太郎曰く、土佐の身分制度は独特で厳しかったそうだ。

たとえば、上士は下駄を履くが、土佐の郷士は下駄はダメ。
郷士は、雨が降っても傘をさしてはならぬという、大相撲で言えば関取とふんどしかつぎくらいの身分の差があったのである。

※明日に続く


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武市半平太

武市2
今回の人物、武市半平太は、下級武士である土佐郷士の中では、「白札」という、郷士の中では上位の階層に位置した。

軍隊の位で言えば、准尉といったところか。
下士官と将校の間に位置する位である。

一時は、山内容堂ともいい関係の時があった。

それは、吉田東洋という、現代の会社で言えばやり手の専務を暗殺するところから始まった。

武市の指令で、那須たち土佐勤皇党の精鋭が、東洋を暗殺した。
そのクーデターは見事成功し、土佐勤皇党を率いる武市は、一躍藩の中枢に影響を持つに到った。

しかし、それは短い栄光だった。

なぜなら、土佐山内家は、徳川の親藩だったからだ。

徳川の家来。

だから、人材は多かったけれど、藩自体が尊皇攘夷に向かわなかった。
そこが、藩一丸となって、倒幕を志した外様大名家の、長州、薩摩の志士と異なる。
土佐の志士たちの悲劇である。

もしも環境が違ってたら、違う藩に生まれていたら、武市は明治政府の中枢に座った人物だったかもしれない。

武市3
秀才で剣もたつ、文武両道で人望も厚いという武市半平太。
最期は、見事な切腹をして果てた。

誠に残念な人物なのである。

高知県に建つ、武市半平太の銅像は、今何を思っているのだろうか。


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