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元失業者の現在労働者 健康で文化的な最低限度の生活をめざす劣等社会人のブログ 世の中厳しいですが、がんばりましょう 大衆演劇と競輪初心者です
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鳳凰座の森の石松で、一つ書くのを忘れてた
だん丸座長が、森の石松は浪曲に合わせて演じる芝居です、と口上代演した
以前の記事の通りだが、やはり二代広沢虎造のテープであった
流れたのは3か所
♪旅ぃーーゆけばぁーーぁぁ 駿河のみちにぃー茶のぉー香りぃーーぃぃ
おそらく、一番有名な浪曲の節だと思うが、この節が2か所
芝居の冒頭と一番最後
冒頭は30石船のくだりで、旅の雰囲気を出すもの
一番最後は、森の石松が絶命する前に、死の間際清水港に帰り次郎長親分と会ってる妄想を強調するためと思われる
この二か所はBGM的な意味合いが強い

もう一か所は、石松が小松村七五郎宅を去るところで流れた
広沢虎造の演目「石松の最期」の中盤で流れる節だ
一部を記せば、こんな感じだ

♪『お世話になったよお二方ー
縁と命があるなれば、またもお世話になりますよ
夫婦仲良く暮らしてよ
言葉を残して表に出る
石よしっかりしてくれよ
石さんしっかりしてちょうだい
嗚呼ありがたい夫婦の人
それに比べて憎い都鳥』

節とは、早い話が曲のことで、上の歌詞を曲にのせて歌うと考えればよい

節の中でありがとうと言えば、加津也石松が頭を下げてありがとうを表現する
憎い都鳥と流れれば、加津也石松が、憎そうな顔をするといった感じだった
七五郎とお民の節が流れれば、それに合わせてそれぞれが演技をした
なーるほど、これが節劇かあと納得した
考えてみれば、節劇なので、節であって、啖呵は流れなくってあたりまえか
劇場の舞台で流れる、虎造節は、なんか妙に迫力があり、役者の演技と相乗効果があった
ちょっと疑問は、♪旅ー行けばー、の方で、虎造の節なのかなあ、音源が違うからなのかと弱冠違和感

さて、鳳凰座版、森の石松では、石松は都鳥三兄弟と切り結び、三兄弟を切ったのち絶命するが、
2代広沢虎造の浪曲ではどんな最期になってるかというと、

都鳥三兄弟と、子分の内の四天王、それと保下田の九六の残党3人の合計10本の長脇差が、石松を探している
閻魔堂の後ろに隠れていた、騙しうちされ大怪我してる石松だったが、都鳥一家側10人が「石松は卑怯な奴だ」と喋ってるのに腹を立て「何を」と言って飛び出す
石松が強いのを分かっているので、10人は一斉に逃げる
石松が、「逃げるなー」、と言って追っかけると、石に躓いて倒れる
だまし打ちされた傷が痛み、起き上がれないところを、10人が、「いまだ、やっちまえ」と石松をズタズタに切った
43太刀切られて逃げ傷一つもなし、迎え傷ばっかりだった

こういう最期となっている
100両盗られ、命もとられてしまった

その後の流れは、それぞれ演目があって、私が持ってるテープでは「為五郎の悪事」、「追分三五郎」と進み、「追分宿の仇討」で次郎長一行が石松の仇を討つ
「為五郎の悪事」では、石松殺しから3日後、都鳥10人が本座村為五郎の家を訪れる、出された麦湯を飲んでたら、次郎長一行がやってくる
次郎長一行は、まだ石松が死んだことを知らずただの偶然なのだが、都鳥を小屋に隠し、為五郎はどっちに味方するのだろうというところで終わってる
「追分三五郎」では、三五郎が茶屋旅籠で働く自分の色(情婦)から聞いた話で、商人に変装した都鳥一家が次郎長の命を狙ってることを見抜き、三五郎はこれを伝えるため清水港へ走る。追分三五郎がいつも走ってるようなイメージがあるのは、このエピソードのせいだ
「追分宿の仇討」で、三五郎からそのことを聞き、次郎長以下主従11人で茶屋旅籠に乗り込み、都鳥11人を曲切りして石松の仇を討った
これで、石松編が本当の意味で完結となるのだが、私にはずーっと疑問があった

「為五郎の悪事」では、本座村為五郎が、いったいどっちに味方するのだろうと寸止めで終わってたのに、次の「追分三五郎」では、唐突に都鳥の一行に加わっている
どうも間が抜けており、20年くらい前テープを探して歩いたことがあった
どこにも置いてなく、どうも間の演目はあったらしいのだが、上演禁止になっておりテープはないということだった
そうなのか、その後すっかり忘れていたのだが、今回の鳳凰座の公演で、森の石松関連をネットでググッていると、なぜ上演禁止になったのかが判明した
なんと、本座村為五郎の親族から裁判に訴えられ、敗訴して上演できなくなったのだそうだ
訴えられたのは、次郎長伝を売り物にしてた講談の神田伯山だが、これのあおりを受けて、浪曲の虎造も上演できなくなったみたい
ちょっと笑ってしまった
敗訴ててw
まあ、次郎長さんも明治26年まで生きたというから、物語の登場人物の親族も生きていたのだろう、なんとも生々しい話だ
約20年振りに疑問が解決できてすっきりした

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浪曲は、今はすたれてしまったが、昔は黄金時代があったそうだ
二代虎造は、最期の第三期黄金時代のスーパースター
浪曲界最期を飾る、大物だったわけだ
どれほど大物だったかというと、こういう話がある
吉本興業の吉本セイから依頼を受けた、山口組二代目組長山口登が、二代広沢虎造の興業権について話をつけるため、下関籠寅一家に乗り込み、腹を刺されその傷が元で亡くなったという
吉本興業も、山口組も、今では全国展開する巨大な組織となっているが、そういうアンダーグランドな歴史にも虎造の名前が出てくる

「為五郎の悪事」については、少し思い出があって、
私は25年くらい前に東京に5年間ほど住んでたことがあり、浪曲を聴きに浅草木馬亭に5、6回行ったことがあった
二代広沢虎造は、私が生まれた時には、すでに物故者でこの世にいなかったから、聴くすべはなかったが、二代の弟子の三代目広沢虎造が主任のおりに聞くことができた、
それが、「為五郎の悪事」なのだが、二代のコピーのような演じ方であった
私が持ってたテープ通り、枕以外は、一言一句ほぼ同じであった
三代目虎造は、あまり評価されてない
芝居とか芸事の世界でよく言う、守破離がうまくいかなかったのだと思う
いつまでたっても師匠二代虎造の芸から抜けだすことができなかったのだろう
でも芸人として、そういう生き方もありだと、私は思う
偉大なる師匠の芸を保存するというか
現に私は、二代虎造は時代が違うから聴くことできなかったけど、お弟子さんの三代目の生の浪曲を聴くことができ、二代虎造を偲ばせ雰囲気だけでも味わえて良かったと思っているから
生の舞台というのは、やはりテープとか、テレビとかでは絶対味わえない臨場感がある
大衆演劇も同じで、もしテレビで大衆演劇の舞台を観ても、劇場で観て感じる臨場感や感動は、どうしても薄れるだろう

25年前に聴いた当時、すでにお爺さんだった三代目広沢虎造もすでに亡くなっており、隆盛を極めた広沢姓を名乗る二代の直系は、もういないらしく寂しい気持ちだ

まただらだらと長くなりましたので、このへんで
お粗末でございました


浪曲 石松の最期のあらすじはこちらをクリック、他の演目も載ってます
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石松の最期

名調子 二代広沢虎造 石松金毘羅代参
清水次郎長伝の内、森の石松が主人公となる一連の作品の一番最初の演目 次郎長から金毘羅代参の命を受ける
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