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元失業者の現在労働者 健康で文化的な最低限度の生活をめざす劣等社会人のブログ 世の中厳しいですが、がんばりましょう 大衆演劇と競輪初心者です

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武田の著書を読むと、海援隊結成のころの記述がある

浪人をへてやっと入った大学だが、当時は学生運動まっさかりだったので自分は興味を持てず大学生活に嫌気をさしていたころ、高校の時の同級生だった中牟田俊男から連絡があり、公園で待ち合わせることとなった
公園で待つ武田のもとに、中牟田と野田が到着
中牟田は、武田に、一緒に3人で音楽グループをやらんかと誘った
武田が、俺は歌とかギターとかようせんからと躊躇すると、
中牟田は、歌もギターも俺ら2人がするからせんでええ、鉄矢は歌の合間に、客の前で司会するとか面白い話をするとかをやってくれ
それならってことで、3人で音楽活動を始めたのだった

海援隊のコンサートにおいて、武田鉄矢のトークは歌と同等に、いやそれ以上に集客に寄与している
弱冠20歳の中牟田青年
高校時代柔道部員でおよそ音楽と無縁だった武田の特殊な能力を見ぬいた中牟田青年の目には、恐るべき正確さがあったのである

音楽サークルに入り、グループごと順番に公園で歌ったのが人前で歌った最初の体験
今でいう、無許可の路上ライブのようなもの
他のグループが、口さがない人々のヤジで苦戦する中、
順番がきた海援隊は、武田のトーク力で客の心をつかみ、次第に歩いてる人も海援隊のまわりに集まってきて、それはいつしか150人の観衆となり、1時間半釘づけにしたという
歌った曲は、たったの3曲だったというが、最後は手拍子でやんややんやの歓声を受けたという
武田のトーク力、おそるべしだ

歌に目覚めた武田は、歌詞活動を積極的に行う

活躍の場を、ライブ喫茶照和に移した海援隊
わずかだが、ステージに立てば、金がもらえるのがうれしかった

いろいろなグループがいて切磋琢磨したが、財津和夫の率いるチューリップには、かなわなかった
財津和夫に東京デビューの話がきて、チューリップの初期メンバーに不満を感じてた財津和夫は、照和で活躍してた他のグループのメンバーを選抜して引き抜き、新生チューリップとして東京にいったそうである

千葉和臣のいたグループも、ドラムスをチューリップに引き抜かれ立ちいかなくなっていた

そのころ海援隊は、野田が抜け、フォークでなく、5人編成でエレキでロックをやっていたが、やはり一人メンバーをチューリップに引き抜かれ、武田の失恋などもあり、休眠状態であった
そこである日、中牟田が武田の元に訪れ、
「なあ鉄矢、千葉を入れて、俺と3人で、もう一度海援隊をやってみんか」

と、新生海援隊の提案を行い、失恋から立ち直っていた武田は、その提案を受け入れた
歌も、初心に戻ってフォークソングで活動
この3人組こそが、後に東京に出てデビューし、母に捧げるバラード、あんたが大将、贈る言葉、思えば遠くへ来たもんだ等を世に送り出した海援隊なのである

当時のライブ喫茶照和には、チューリップ、井上陽水、海援隊、甲斐バンドの甲斐などが出演し、観客の中に長渕強、小さいから帰りなと入店拒否され追い返されたのは、当時小学生だったチェッカーズの藤井ふみやがいたという
そして、近くにある別の喫茶店に、実におかしな店員がいると噂されてたのが、あのタモリ店長だったのである
武田は著作のなかで、あんなに狭い範囲に、のちにこれだけ有名人になる人たちがひしめいていたのが、実に不思議であると記している
当時の武田は、まだ無名であった広島の吉田たくろう、東京の泉谷しげるを当時から意識していたそうだ

<完>


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