劇団炎舞3-1 橘炎鷹座長 ミニショー 松山劇場20141015夜

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画像は橘炎鷹座長

10月15日夜の部
劇団炎舞は、今月3回目の観劇となる
なので、自分なりに劇団炎舞を調べてみたが、大衆演劇は本当に資料が少なく、頼みのネットでも情報が少なくて、他の方のブログ、2ちゃんねるなどが主たる情報源
そんな中、図書館で橋本正樹の著作を読むことができたのは幸いだった

ボス橘魅乃瑠は、炭鉱労働者の両親のもと、1955年9月に福岡県中間市で生まれる
父母ともに素人芝居をしていたほどの芝居好きで、連れられて劇場にもよく通った
家族と大阪に移り、高校を中退し働いていたが役者になる夢をあきらめきれず、大阪の大衆演劇界の巨人、初代市川おもちゃ劇団には入れなかったが、二代目浪花三之介に弟子入りして、浪花みのる
10年在籍して浪花劇団を離れ、5年間花形として大日方満劇団に在籍して、橘みのる
「関西の三羽ガラス」と呼ばれた二代目浪花三之介、大日方満の両人気座長の元で修行したのは大きい
大日方劇団では、長男のとんぼ(現、橘鷹炎座長)が名子役と評判になる
次男のすずめ(現、橘祐之介)も、子役
芝居が好きな子供たちの将来のためにと、1988年3月独立して橘劇団旗揚げするも、弟子4人にドロンされ、わずか3カ月で行き詰まった
残ったのは、座長橘魅乃瑠と妻で女優の新野瑛巳、小学生で子役のとんぼとすずめ、30年前に素人劇団で芝居してた父の高砂勝の家族5人だけだった
しかも妻が倒れ、緊急手術をせねばならない
劇団旗揚げで、貯金を使い果たしたうえ、妻の入院費の捻出、劇団の体をなさないほどの劇団員の不足
そんなどん底だったが、助けてくれたのは人の熱い情だったそうだ
だから、座長橘魅乃瑠は、役者には何が大切なのかが分かったという

時代が進み、子供たちも芝居の腕を上げ大きくなったが、橘炎鷹座長は体調が悪いという理由で、一時期劇団を離れてた時期があるそうだ
その時期は弟の橘祐之介が劇団を中心で引っ張った
橘炎鷹が復帰してからのちに、今度は逆に橘祐之介が劇団を去り、現在別府の空の下にいるそうだ

劇団炎舞は、なんともドラマティックな歴史を経て、現在、人気劇団として松山劇場の舞台に立っているのである


顔見せミニショー

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今回のオープニングは、いつもの若手三羽ガラスにメインの橘もん太が加わっての群舞であった

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橘もみじ

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橘光鷹、橘鷹志の相舞踊

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ミニショーとりを飾るはやはりこの人、橘炎鷹座長

4曲20分ほどの、顔見せミニショーだった


おまけ画像

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出かけるとき、秋祭りの神輿と出会った


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